対談

テーマ「お仕事の選択と実現」

・お相手

波多野貴文さん/映画監督

ドラマ「SP 警視庁警備部警護課第4係」で演出を務め、のちに映画化された「SP 野望篇/革命篇」で初監督。最新作の「サイレント・トーキョー」(出演:佐藤浩市、石田ゆり子、西島秀俊)では連続爆破テロに巻き込まれる人々の姿を描いている。1973年熊本県生まれ。日本大学で建築学を学び、実家の家業を継がずに親の反対を押し切り映像業界へ。本広克行監督のアシスタントを経て映画監督となる。

・聞き手

木本亮/BG身辺警護

ドラマと映画版「SP」の全シリーズで警護の監修を行い、同じ歳で九州出身の波多野氏と知己を得る。1973年大分市生まれ。京都大学工学部を自主退学しロンドンの警護専門学校へ。フリーで活動したのち2007年からセコム関連会社にて初代の警護課長を7年間務め、再びフリーとなる。2014年から警護ユニット「SP7」を運営。

岡田准一さん主演映画「SP 野望篇・革命篇」。この記事は、本作で初メガホンをとった波多野監督へのインタビュー。テーマは「お仕事の選択と自由」。人はどのように育ち、夢を描き、実現していくのか。読者の皆様がおかれた立場から、波多野さんのメッセージを存分に汲み取って頂きたい。

【前置き】

このインタビューが実現するはるか以前。2010年の映画クランクイン直前の事。


私木本は2007年のドラマ「SP」に引き続き、脚本内容を検討する初期段階から携わっていた。そのことに有り難みと醍醐味を感じていた。原案・脚本を手がける金城一紀さんとの打ち合わせは、私にとって刺激と発見の連続だった。脚本が出来あがり、監修者としての任務は終了かと思った矢先、撮影現場に立会うよう要請を受けた。いよいよクランクイン。ドラマの時は「本広克行総監督の元で演出していた波多野さん」だったが、波多野さんは夢を叶えて「映画監督 波多野貴文」になっていた。

撮影中に何度か、私は監修者としてのあり方について波多野さんに助言を頂くこともあった。現在でも、人生上の様々な問題について色々と学ばせて頂いている。

そもそも作品におけるリアリティーとは、監督にとってのリアリティーであり警護現場のそれでは無い。監修者の仕事は、そのサポートだといえる。

波多野さんは、緻密な取材の元で巧みに作られた設計図=脚本を元にして、ロケ地、小道具、衣装からセリフにいたるまで、尋常ではないこだわりで設計者の意図を汲んで世界観を構築した。


映画の公開終了後も波多野さんとのご縁は続き、ついにこのインタビューが実現。

前置きはこのくらい。インタビューは2015年12月に「叙々苑游玄亭 銀座並木通り店」で行われた。

【誕生 波多野貴文】

-1973年9月、熊本県山鹿市。灯籠や温泉で知られる九州の田舎町で波多野さんは生まれた。

「大学進学まで山鹿で育ちました。実家は建設業を営んでいます。現場見学に連れて行ってもらったりしてオヤジの背中を見て育ちました。小学校を卒業する時には、宇宙基地を作りたいなんて思っていました。中学時代は、土曜日になるとレンタルビデオ屋に通い詰め、感覚に任せて色々な映画を見ました。」

【少年時代の夢 映画監督】

“一度はこの土地を出て、世界を見てきたらどうだ?”そんな導きをしてくれるお父様だったという。

「オヤジがすすめてくれて、ホームステイに行かせてもらいました。そこで見た“HOLLYWOOD”の看板が印象に残りました。帰国してすぐ母に“映画の仕事をしたい”と宣言しました。SP公開後に母校訪問したとき、中学時代の先生に会う機会がありました。そういえばお前は昔から映像作りたいって言っていたよな、といわれて感慨深かったです。」

−故郷に錦を飾るとは、まさにこのことだ。

「人間の人間たる所以は、喜怒哀楽があることだと思っています。それを表現できる映像のチカラって凄いと思いました。中学の進路指導で映画やドラマを創りたいと言った気がします。それを知った祖父は、どこからかツテを頼って映画の台本を手に入れてくれた事がありました。ただ当時は手がかりも無く、“監督になる方法”のような本を読んだりしましたが、どう動いてよいやら見当がつかず、そのまま地元の高校に進学しました。その後も映画やドラマを見ることは、回りの友達に比べ好きだったように思います。」

【導かれる必然性】

—興味のある世界へ導かれる。それは必然的。

「小学生の時にサッカー愛がハンパない先生と出会いました。ワールドカップの録画を見ながら解説指導してくださる最中、一番興奮しているのはご本人だったりするような。そんな先生に影響を受けて、サッカーが好きになりました。当時としては先進的な練習方法も多く、とても新鮮で刺激的でした。中学校ではバスケ、高校では陸上部と美術部に入り活動しました。」

—事を成す為に必要な事は。

「共通して言えることは、指導者や仲間に恵まれたということです。互いの存在が刺激的で切磋琢磨できるというのは、何かを成し遂げるために必要不可欠だと思うのです。そしてそれは、偶然出会えるものではありません。まず自分がモチベーションを高く持っていること。それがその環境へと結びつけてくれるのだと思います。」

【故郷を出る】 

お父様や人生の先輩に影響を受け、仲間と切磋琢磨しながら育った波多野少年は、中学・高校とホームステイを経験して視野を拡げた。映像業界への想いを抱えつつも、家業を総合建設会社として発展させるため、大学の建築学科を目指した。

「僕が大学で師事した神谷宏治先生は、丹下健三の最高傑作とされる国立代々木競技場(1964年)の設計チーフを務めた人です。その神谷研究室で受けた指導の一つが、 “何かのために何かを諦めるということではない、あれもこれもそれもどれも全部取り入れる”という建築理念でした。」

—大学院に進学して、神谷教授の元で更に道を究めるつもりだった。しかし。

【お仕事選択の瞬間】

「神谷先生がまもなく退官すると知り、大学院への進学は取りやめて就職活動をしました。建設会社から内定を頂いた頃には、幼い頃の映像への想いを止められなくなりました。ここで舵を大きく切ることを決断しました。それはまたしても、幼少の頃から知らず知らずのうちに選んできた、困難な進路でした。なぜなら、相変わらず何の手がかりも無かったのですから。」

—就活の波に吞まれそうな気がした時、更に高い荒波航路を「選択」した。

「中学時代の自分とは違い、今度は行動に出ました。当時ウルトラマンショーのバイトをしていた友人をきっかけに、映像制作スタジオを見学する機会を得たのです。4年生の夏休み中、いつもそのスタジオに通いました。そして卒業後はスタジオの近くに引っ越すことを決意しました。あてなど何もありませんでしたが、まずは近くに住むことが近道に思えたのです。」

—祖師ケ谷大蔵駅の近くにある「東京メディアシティー」。近くに住んだからと言って、業界への手がかりがつかめる保証などない。実家のお母様は泣いて反対した。

【優柔不断な頑固者】

「優柔不断な頑固者。自分ではあまり感じていませんでした。確かに僕はキャスティングやロケ地、セットに衣装に持ち道具など、その全てにおいてなかなかクビを縦に振りません。もっといいモノがあるのではないか、アイデアが生まれるのではないかと思うからです。決断のタイムリミットとは、とても難しいものです。あらゆる可能性を試し、そこから不要なものを削り潰していって、足掻いて足掻いて、そして生み出されたモノが僕の作品なのです。」

—スタッフからは優柔不断な頑固者とレッテルを貼られるそうだ。

「僕のイメージはこれだ、と直ぐには口にしないようにしています。多くの人に受け入れられるエンターテイメントを目指しているので、自分だけの偏った世界に陥ることが怖いのです。みんなの能力が全部欲しい。あらゆる可能性から凝縮していきたいのです。“あれもこれもそれもどれも”です。」

—取りこぼしがあるかもしれないと考え、不安になることさえあるという。皆で最高のものを作り上げたいと願うからこそだ。そして時には、苦言を呈してくれる人、意見の違う人を敢えてそばに置く事でこそ広がる新世界がある。

【自己成長のため、より良い作品作りのために】

—人は環境に影響を受け、環境によって育つといえる。

「成長するには環境が大切だと思っています。生まれ持った環境、僕の場合はオヤジや祖父、による影響は多分にあります。しかしながら自分の意志で環境を変えることも出来ます。本当に自分を成長させてくれるのは、自ら変えたり作り出したりした環境なのではないでしょうか。」

—そんな波多野監督だからこそ、現場の環境づくりにおいても独自のスタイルがある。

「僕の映像制作チームでは、スタッフの経験値にこだわらず賛成反対の言葉を発し易い環境づくりを心掛けています。そこに新たな可能性の種が落ちている気がするからです。」

【大物俳優に認められる】

—ドラマ「SP警視庁警備部警護課第4係」の撮影時代を振り返りながら、さらに興味深い話が続く。

「ドラマSPは、とても珍しいスタイルで監督の役割分担を行いました。普通は一人の監督が1話の中のシーン全てを撮ります。ところが本広総監督は一話を三人の監督で撮る手法を試みました。アクションシーン、心情シーンなど、シーン毎に監督が変わるというような。こんな事はなかなかありません。しかし編集権といって、映像編集をする決定権は、1話毎に一人の監督に任せるというスタイルです。」

—ある大物俳優さんは、演出の波多野さんや総監督の本広さんの斬新な手法に合わせながら、「波多野さんがメキメキと成長する課程を見た」と話してくれたという。

「普段は“おいハタ坊!”なんて気さくに接してくれる俳優さんが、ある時から仕事の話になると敬語を使ってくれるようになりました。少し認めてくれたのかなと。そんな事からも、自分の成長を実感できました。」

【神は細部に宿る】

—撮影現場ではお世話になったと、波多野監督は私を励ましてくれる。

「神は細部に宿る。だから基本的な事でも、警護の所作を知れることはとても参考になりました。」

—現在企画中の作品「コールド・ケース」の話になる。

「次回作は、ある地方都市を舞台にした警察ものです。人の心情を描きたいからこそ、捜査シーンの描写にも徹底してこだわろうと思っています。」

【リアリティーとは】

—視聴者や観客からいわれる、リアリティーについて。

「踊る大捜査線はもともと、サラリーマン刑事(デカ)というタイトルで企画が進んでいました。刑事のサラリーマン的な側面も描こうという意図がありましたので。だから例えばパトカーを使用するために、いちいち書類で上司に許可申請をするというようなシーンを描いたりしています。大組織にありがちなサラリーマンっぽさを強調する為の演出です。本当はそんな許可申請は必要ないようです。ですが観客にとっては、“ああ!いかにもありそうだ。”とリアルっぽさを感じる、いわば“スクリーン上のリアリティー”というものがあります。」

—警護官の“本当の動き”を再現してしまうと、画面上では逆に“本物っぽくない”。そんな不思議な感覚を私も経験したことがある。ドラマ・映画で監修をしていた時の話だ。

「デイ・アフター・トゥモローというハリウッド映画でCG制作を担当したクリエーターが言っていた話です。例えば巨大な波の映像を合成する時に、本当の波の動きをそのまま再現してもダメなのだと。監督のイメージに沿った波を作らなければならないと。そう意味で言えば、制作現場におけるリアリティーとは“監督にとってのリアリティー”とも言えます。」

—映画監督は、現実にはあり得ないような動きをスクリーン上で表現する。むしろその方が観客にとって本物らしく感じるというわけだ。リアルな状況をそのまま再現してしまうと、逆にスクリーン上では偽物っぽくなる事があり得る。専門家が「本物の波はあんな動きはしない」と指摘したところで、映画に感動したい観客には意味が無い。監督はそれを分かっている。

実家の猛反対を押し切り、祖師ケ谷大蔵のワンルームアパートで空腹を抱え、フリーターで生活を繋げながら本広克行監督のアシスタントを務め、「SP」で監督デビューを果たした波多野監督。最新作は「サイレント・トーキョー」。こちらもぜひお楽しみください。

作品紹介

「サイレント・トーキョー」2020年12月4日公開

TVドラマ『アンフェア』シリーズで知られる秦建日子が2016年に発表した小説を実写化したサスペンス。クリスマス・イブの東京を舞台に、突如勃発した連続爆破テロ事件に巻き込まれていくさまざまな人々の姿を映し出す。出演は、佐藤浩市、石田ゆり子、西島秀俊など。

終わり